秋は、どうしてこうも私を外へと誘うのだろう。
私は季節で言うと、夏が一番好き。
理由は、寒がりだから。
今年(というより、令和?)は9月になると「秋」のスイッチが押されたように一気に季節が切り替わる。
9月になった瞬間、すごく寒い。
まだ衣替えをしていないせいで、服がうすっぺらく、この間までTシャツですごしていたのに、今は長そでが2枚ないと鼻水が出てくる。
(ちなみにここは東京だ)
寒いのは嫌いで、朝は寝ていたい。
けれども「秋」を感じてしまった私は「早く外に出て落ち葉を踏みしめて秋を堪能したい」と思ってしまう。(もちろん、まだ落ち葉の季節ではない)
夏は暑くて外に出るのも辛いが、やはり、外出をするならば秋はちょうどいい。
この季節、私にとっては寒いんだけれど、長年の「日本人」…いや、「人間的」な習慣が身に染みついてしまっている。
私はシチュエーション重視の人間だ。
絵本や物語にあるようなシーンを日常で実践するのが好き、という意味。
夏は、湖で小舟に揺られながら読書をするのが好きだし、バスケットを持って木陰でサンドイッチを食べることもある。
秋という季節は私の中で「外で読書、美術館観賞、外苑の銀杏並木を歩く、ハイキングに行く、紅葉狩りをする、キノコ狩りをする」というがセオリーだ。
人によって季節の感じ方はそれぞれだが、私にとっての秋というのはそういうイメージ。
人は私を「ロマンチスト」や「映画の影響受けすぎ」と感じるかもしれない。知り合いにはこんな私の四季の過ごし方を言うことは絶対にできない。恥ずかしいからだ。
昨今の状況のせいでなかなか出かけることができないため、今年は「ひたすらに近所で散歩して読書」をしようと決めている。
ここ最近は雨が多いが先日は少し肌寒いが雨が降らない朝があった。
5時半すぎに私は本を持って外に出た。
うすい上着を着ていたが、歩いていると風があたって寒い。服選びに失敗した。
朝はまだ早いが犬を散歩している人、通勤する人、走っている人でコロナ前よりは人は少ないが、それでも散歩道は人がけっこう歩いている。
しばらく歩き、教会横にあるベンチに腰掛けて読書をはじめる。
読んだ本はこの記事で紹介した本です。
夏休み後半の女子高生が主人公のミステリー小説。
美しい文章は何度読んでも引き込まれます。
30分読書し、すぐそばにある森のような公園を通って帰ることにした。
キノコがたくさん生えている。
久々にこの公園に入ったから、こんなにキノコが生えているとは思わなかった。
そこらじゅうにキノコがたくさんあった。
普段はコンクリートやアスファルトの上ばかりを歩いているから、近所にキノコがたくさん生えている公園があることなんて忘れていた。
朝早く、教会の近くのベンチに座って読書して、帰り道に森を通ってキノコを観察……なんて贅沢な秋のはじまりだろうか。
私は自分で理想通りの秋を迎えることができて、今やっと、喜びを感じた。
だって、それをしている最中は喜びを感じる余裕はなかった。「寒い!」「眠い!」「公園で体操しているおじさんがいる!」みたいな感じだった。
でも改めて文章にしてみると「なんて綺麗な秋なんだろうか」と自己満足してしまう。
たとえ、現実では「理想通り」ではなくても私は「理想」を追いかけてしまう。
それに、後から思い返してみて「なんか綺麗な思い出になったな」と思えばOK。
今年はどんな秋になるだろうか?
今日も、どんよりとしたお天気だけれど、それでも外へと誘われる。