クリスマスになると私はわくわくする。
でも、なんだか、切ない気持ちにもなる。
うちには、サンタさんがいなかったから。
昔からクリスマスは、家族とおもちゃ屋さんに行き、「これがほしい!」と言ったものをその場で買い、ラッピングをしてもらって終わりだった。
その場で「お父さんお母さんありがとう!」と喜んで終了。
周りの友達は、親からのプレゼント+祖父母からのプレゼント+サンタさんからのプレゼントを貰うと言っていた。
それを知ったとたん、ショックと羨ましさがあった。
プレゼントの数が多い、ということも関係していたかもしれないが、みんな普通に「サンタさん」という人のことを言っていることに一番衝撃を受けた。
サンタさんって、なんだか手間がかかってる。
私にとって、「愛情の象徴」のように感じられた。
「愛されてる証拠」みたいなものに見えていた。
サンタさんは、私にとってケンタッキーで言うカーネルおじさん的存在だ。もしくはディズニーランドで言うミッキーマウス。
クリスマスの宣伝隊長であり、マスコット的な存在であり、象徴的な人物。
それだけだと思っていた。
超有名だし、知っているけど、人間の生活には直接関係ない話だと思っていた。
でも、小学生のころ、周りの友達たちは、本気で「サンタさん」を感じていた。
私にはそんな思い出ない。
感じたことは一度もなかった。
サンタさんという雰囲気を感じてみたくて、イヴの日「このプレゼント、私が寝ている間に枕元に置いておいてほしい」と、小学1年か2年のころ、母に言った。
母は「わかった」と答えた。
クリスマスの朝、私はわくわくしながら目を開けた。
枕元にプレゼント。
絵本やアニメの主人公たちと同じ気持ちになれる。体感できる。
クラスメイトと同じような気持ちがやっとわかる。
でも、枕元にプレゼントは無かった。
私はがっかりして、怒りながら母に言った。
「枕元に置いてって言ったじゃん!!」
母はごめんごめんと言いながら悪びれることなく、買ったお店の袋に入ったプレゼントを私に渡した。
サンタさんに貰った気持ちになりたかっただけなのに。
私は、サンタさんという存在は、やはり我が家には無いんだということを悟った。
小学5年、6年になっても、相変わらず、学校ではサンタの話をしていた。
「何才まで信じてた?」「知ったときはショックだったー」
みんなそんな話をしていた。
まだ信じてる子もいた。
羨ましかった。
私はそんな会話には入れなかった。
今でも、親が一生懸命サンタの努力をするツイートをみたりすると、胸が痛くなる。
私の親はそんなことしてくれなかった。
信じることがないから裏切られることもなかったし、真実を知ってショックを受けることもなかった。
でも、大人になるにつれ「自分は夢みたいなものを感じられない人間」と思うようになってしまった。
それでいて、私は誰よりも夢の世界に焦がれていた。
すっかり、こじらせたオトナになってしまった。
クリスマスというのは「サンタさん」が大事なわけではない。
身近な人に「愛」をふりまくことが大事だ。
プレゼントというのは「愛」や「やさしさ」を表現するためのものにすぎない。
そこにサンタさんは関係ない。
でも、やっぱり、幼い頃に体感できなかったことは、大人になっても追い求めてしまう。
クリスマスになると、私は浮かれている。
町中がきらめく。
クリスマスソングは綺麗だし。
キリスト教の素晴らしさに改めて触れることができる。
クリスマスになると私はわくわくする。
でも、なんだか、切ない気持ちにもなる。
今週のお題「クリスマス」